葬式について: 2008年2月アーカイブ

インターネットでの葬式

葬式というのは人の死に関わる言葉なので本来はネガティブな言葉です。他の言葉に比べるとタブー視されているようなところもありますが、インターネットでの関心となるとまた事情は異なるようです。インターネットでの検索キーワードとして上位に登場する「葬式」についてお話したいと思います。
インターネット上の「葬式」と言えば最も話題になっているのは「中村屋」です。中村屋というのは飲食店の「新宿中村屋」と同じ名前ですが、このお店とは全く関係ありません。ここで言う中村屋とはFLASHという技術を使った有名なムービーで、結婚式スピーチとともに弔辞バージョンがあるということで検索上位に登場しています。詳しい内容については実際に見て頂いたほうが早いので割愛します。
先日、インターネットで話題になって、その話題はインターネットを飛び出して有名になったニュースがあります。それは「ラオウの葬式」です。このラオウとは一体誰でしょうか?漢字で書くと「羅王」と表記するこの人、実在の人物ではありません。マンガやアニメで大ヒットした...もっと正確に言うとパチスロ機で一大ブームを巻き起こした「北斗の拳」に登場するキャラクターです。原作の中でもラオウは最後死ぬのですが、そのストーーリーを映画化した際に映画のプロモーションの一環として開催されたのがラオウの葬式です。北斗の拳は各界にかなりコアなファンが居ると言われており、このイベントでもそれが証明される形となりました。葬儀委員長は歌手の谷村新司ですし、角田信朗、武田幸三、森下千里などの有名人も参列したことで話題になりました。たかがアニメのキャラクターと言うなかれ、これもひとつの文化なのです。
葬式にまつわる話題はまだあります。どんな夢を見たかによってその人の未来を探る夢占いというものがあるのですが、その中で葬式というキーワードは重要な意味を持っています。本来葬式というのは不吉な兆候と捉えられがちですが、夢占いとなるとそうでもありません。むしろ吉兆であるケースのほうが多いのです。例えば自分の葬式が夢に出てきたら大吉夢ですし、両親の葬式の夢も吉兆です。中でも知らない人の葬式が夢に出てきた場合は思いがけない財産が転がり込むことを暗示しているというではありませんか。まさに葬式は吉兆そのものです。葬式に関連して、霊柩車が出てきた場合はその霊柩車がどこで止まるかに注目して下さい。遠くから見ている夢だと、悩み事から立ち直れる暗示ですが、目の前で止まった場合は不幸を暗示しているそうです。

新興宗教の葬式

キリスト教や神道のような古い宗教に対して、新興宗教の葬式はどうなっているのでしょうか。日本の代表的な新興宗教について見てみることにしましょう。ここでご紹介するのは創価学会と天理教です。どちらも筆者の独断で新興宗教とさせて頂きました。それに対してのご意見は色々とあるかとは思いますが、あくまでも主観なのでご容赦下さい。
創価学会の葬式は「友人葬」であることが特徴です。友人葬とは、友人などの有志が集まって行う葬式のことです。創価学会はもともと仏教の一派である日蓮宗の宗派でしたが、日蓮宗との対立により訣別し独自の宗教観を持つ団体となりました。そのため、日蓮宗の教義をくんでいるものの、葬式などの儀式に日蓮宗の僧侶を呼ばなくなったことから、友人葬と名づけられました。ほとんどの宗教では葬式に導師としての宗教家が存在します。仏教なら僧侶、キリスト教なら神父、神道なら神主。創価学会は僧侶を呼ばないことから、導師は創価学会の幹部や上司にあたる人物が担当するそうです。
臨終後にまずお通夜があり、その翌日に葬式となるのは仏式と同じです。ただ、そのお通夜や葬式の席上では創価学会独特のお経や題目などを読経、唱和します。
創価学会とは全く性格の違う新興宗教ですが、大きな組織を誇るものに天理教があります。天理教は奈良県天理市に本拠地を置く宗教団体で、仏教から派生した創価学会に対して、天理教は神道から派生した宗教です。そのため、葬式の作法も神式に近いのが特徴です。神道と違って天理教独特の考え方が反映されるのがお通夜に相当する葬式前日の儀式「みたまうつし」です。天理教では人間の体は神様から借りているもので、自分のものは心だけだと考えられています。死ぬということは使い古した体を神様に返して、次に生まれ変わるまで心は神様のところにあるとされています。そのため、ここで言う「みたまうつし」とは、天理教の根幹を成す大変重要な儀式です。天理教の関連サイトを見ていても、みたまうつしと翌日の葬式のどちらかにしか参列出来ないのであれば前日のみたまうつしに参列することを推奨しています。
故人の遺体に向かって行う礼拝も、玉串を捧げるスタイルですからこれも神道とよく似ています。ただ、神道が二礼二拍手であるのに対して天理教は二礼四拍手です。拍手をする際には普段の神社詣りのように大きな音をたてるのではなく、音を立てないように拍手をするという点においては神道と同じです。このような拍手のことを忍び手と言います。

佛式以外(他宗教)の葬式

日本で葬式というとほとんどが仏式の葬式のことを指しています。確かに圧倒的に数が多いのでそれが一般的なのですが、それが全てではありません。中には他の宗教を信仰している人による他宗教の葬式もあるのです。ここではそんな他宗教のうち、キリスト教と神道による葬式についてご紹介したいと思います。どちらも仏教に比べると少ないものの、意外に多いのも事実で、これを読んでいる方々の中にも関係のある方は多いかも知れません。
まずキリスト教から見てみましょう。キリスト教にはカトリックとプロテスタントという2大宗派があります。両者は同じキリスト教でありながら微妙に教義が違うので、キリスト教の葬式だからと言って同じように扱うことは出来ません。両者に違いがある部分については後で解説します。
葬式の大きな流れや考え方は仏式と似ているのですが、その表現方法にキリスト教独特のものがあります。葬式の前日に行われる夜の儀式を仏式ではお通夜と言いますが、キリスト教では前夜式と言います。葬式で弔問に参列した人は遺体の安置されている棺に向かって献花をするのもキリスト教の特徴です。聖書の朗読、祈りの後に聖歌を歌うというのもキリスト教ならでは光景です。またキリスト教では故人が亡くなった日のことを召天記念日と言いますが、カトリックでは死後3日目、7日目、30日目と毎年の召天記念日に追悼ミサを行い、プロテスタントでは特に決まりはありません。
次に神道、つまり神社の神様による葬式についてご紹介します。葬式の基本的な流れに仏教やキリスト教との大きな違いはありません。神式でもまずは前日の通夜祭から始まります。神式の特徴として、全ての儀式を「祭」と呼びます。これは故人が亡くなってしまったことは悲しいことですが、天に昇って神様のところに行けるというお祝いでもあるからです。葬式当日に相当するのは葬場祭と言います。
神道ではまず手を清めるために、手水の儀といって手を洗って口をすすぐことから始めます。香典は玉串料と呼び、故人にも玉串を捧げます。玉串とは、榊や杉の葉を枝で作られた神様への供え物です。そして神社でお参りする時と同じように二礼二拍手、但し神社と違ってここでは二拍手は音をたてずに行います。
仏式の法要、キリスト教の追悼ミサに相当するのが霊祭です。忌明けとなるのは死後50日目で、その時には霊祭が行われます。仏教の四十九日と一日違いですし、非常によく似た仕組みです。

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